2018.04.20

Rの思想(前編)初代YZF-R1開発陣が語るYZF−Rシリーズのフィロソフィ

YZF-R1



この記事は、モーターサイクルマガジン「ヤングマシン」の編集部より、当時の取材記事や写真が特別に提供され作成されています。

 
 
YZF-R1の登場、それはあまりにも衝撃的だった。従来の市販車からは考えられない軽さとパワーのバランス、そしてハンドリング。一躍ベストセラーへと上り詰めたのも理解できる。これに続くR6とR7もやはり衝撃的だ。どうしてここまで徹底的に作り込んだのか、果たしてRシリーズとは何なのか。開発陣へのインタビューを通じ、Rを貫く思想を徹底検証する。
 
 
エキサイトメントの追求、エンジンと車体の融合。
これがRの根底に流れている。

 
バイクは趣味の乗りもの
面白ければ、多少の欠点は構わない。

 

 
R1とR6、R7の3台を我々はYZF-Rシリーズと一言でくくってしまうが、開発陣はそうではない。イメージこそ似ているが、1台1台が個別のマシンだと考えている。シリーズとして共有するのは、およそ設計思想のみ。ここに世界中から賞賛の言葉を集めて止まない秘密が隠されている。
では、この設計思想は何かといえば、大別してソフト面とハード面があるという。ソフト面は“排気量に応じたエキサイトメントの追求”だ。
バイクは極端に言うと絶対に必要なものではない。あくまで趣味の乗りものだ。だからこそ、乗ったときに面白いという部分を一番大切にしたいと考えた。そこでエキサイトメントというキーワードを掲げ、これを最大限に追求したのがRシリーズの3車である。
「走りの楽しさの究極をエキサイトメントと呼んでいます。言葉にするとちょっと危ない表現になってしまいますが、スリリングの一歩手前と言えるでしょうか」(三輪氏)
このエキサイトメントを最優先して最適化、しかもシンプルに作り込んだのが“R”ということになる。面白ければ、多少欠点があったとしてもいい。もちろん、ヤマハとして最低限のレベルをクリアした上でだが、狙ったエキサイトメントから外れるものは削ってしまう。例えば2人乗りなんかは多少犠牲になっても構わない。こうした思い切りのよさも特徴だ。
 
 
「乗りやすいマシン」と
「面白いマシン」は明確に異なる

 

 
それと同時に、バイクに乗せられているのではなく、ライダーがバイクに働きかけて操ること。ただ漫然と速いのではなく、ライダーがコントロールする喜びが味わえるマシン。これを目指したことが“R”の根本にある思想でもある。そのため、走る・曲がる・止まるの中でも“曲がる”ことには相当にこだわっている。
つまり、乗りやすいマシンと面白いマシンは違うということだ。そのぶん、人によってはパッと乗ると乗りにくいと感じるかもしれないが、乗りこなしていく過程そのものを楽しむことができるし、乗りこなす満足感を味わうこともできる。こうしたライダーとマシンの濃密な関係。わくわくするような緊張感こそが、バイクを走らせる醍醐味と言ってもいいだろう。“R”の狙いは、まさにそこにあったのだ。
また、排気量に応じて様々な形のエキサイトメントを提供している点も忘れてはいけない。R1は1000ccならではのトルクを生かす楽しみ。R6は高回転までエンジンを回し切る楽しみ。R7はサーキット走行で得られる楽しみをテーマに作り込まれている。
これら3車は楽しい部分が違うだけで、優劣という物差しでは測れない。どれもがその世界でナンバーワンを目指しているからだ。結局、馬力があるからとか、排気量が大きいからという観点ではなく、自分がどんな楽しみを求めるかで選ぶマシンが変わるだけ。ここにシリーズ化の意味がある。
 
 
ヤマハの総力をあげて挑んだ
ナンバーワンのスーパースポーツ

 

 
一方、ハード面でRシリーズに共通する思想は何かといえば、それは“エンジンと車体の融合”である。
「エンジンは車体の一部となって剛性を負担し、車体はエンジンの駆動を助けてあげるような設計です」(三輪氏)
はじめにエンジンありきで、これに合わせた車体を作るのではなく、最初からエンジンと車体が助け合うようにデザインされているわけだ。
こういった思想を現実のものにするため、今までとは全く違ったマシン作りが要求された。エンジンを他機種に流用することは不可能だし、あらゆるパーツが専用開発になってしまう。しかも生産に非常に手間が掛かる。メーカーとしては非常にリスクが高い冒険だ。
「オーダーはナンバーワンのスーパースポーツを作れということでしたから、役員には掛け合いましたね。ここまでしないと作れないって。結局、答えはGOでした」(三輪氏)
かくして、一切の妥協を許さない開発がスタートするのである。
Rシリーズの開発は早い段階でスタッフを固定し、彼らが自分たちで様々な部分を決めてきた。どの排気量にするかも多くの議論があり、結局はまずフラッグシップを作ろうということでR1の開発に着手。‘95年3月には理想のR1像を見つける旅に出た。
翌年の夏、これに続いてR6を見つける旅が行われ、R6の開発もスタート。いずれの旅もヨーロッパにしばらく滞在し、バイクで走り回って何が求められているかを自分たちの肌で感じ取ることが目的だったという。
旅を終えた後はデザイナーをはじめ、エンジン設計者や車体設計者がお互いに挑戦状をたたき付けるようにして活発な議論を展開。徐々に形が出来上がる。結果的にどのスタッフも、自分の担当を超えて車体やエンジンに詳しくなっていった。
また、開発初期から製造サイドのメンバーが加わったのもポイントだった。“R”を完成させるには、実際にパーツを作ったり組み立てたりする部署にも新たな試みが求められたからである。工場側も当然負担が増えるので、抵抗がなかったといえば嘘になる。しかし、懇親会と称して開発陣の理念や意気込みを理解してもらう場を設け、みんなでやってみようという気風を生みだした。つまり、会社の全組織をあげて開発が行われたのである。
(文:牧田哲朗)
 
後編へ続く
 
 
 


 

この記事はビッグマシン誌・‘99年1月号「YZF-Rシリーズの全貌」より、開発者へのインタビュー部分を抜粋・再構成したものです。‘98年に登場した初代R1を筆頭に、‘99年登場の初代YZF-R6、そしてスーパーバイクレースのベース車であるYZF-R7についても触れた内容となっています。

 


 
〈文責〉
ヤングマシン編集部

大屋雄一(解説)
牧田哲朗(インタビュー)