ホームプレストマガジン > 難波恭司のおでかけ★YZP&PRESTO Racing report
8時間直後のお疲れマシン

大波乱の8耐スタート

 10・9・8・7・6・・・・GO!!!決勝前日から、やっと8耐らしい日差しが照り付ける事となった8月3日決勝レース。暑い、そして熱い8時間がスタート。ところがスタート時点で波乱の幕開けを予感させる事体が起こっていました・・・。
 私は例年のようにスタートを真近で見届ける為、スタートポジション・コースサイドのガードレール裏にて、多くのカメラマン達とスタートの瞬間を見守っていました。そして全車無事スタートしたと思えた直後、最後尾から大量の白煙を上げながら1コーナーへ消えていくマシンが!
 コース上に撒き散らされているかも知れないオイルと、スタート・ラップから帰ってくるトップグループに、一抹の不安を感じた私は慌ててピットへ戻りましたが、その間にトップ集団は2周目の1コーナーへ向かっており、何事もない事を祈ったものの・・・不安的中。トップグループは次々に転倒、コースアウトし、優勝候補であるヨシムラのマシンは炎上してしまう大惨事へと・・・。全く予想していない事体にサーキット中が呆然となり、今年の8耐が投げかける試練の幕開けだったのです。

♯21 YSP & PRESTO Racing

 今年のYSP & PRESTO Racingは、全日本フル参戦中の「中冨伸一」選手と、現在は「YZF-M1」(MotoGPマシン)の開発に専念している昨年のチーム・ライダー「吉川和多留」選手がペアを組む事となり、応援にも更に力が入りましたね!
 この8耐、今年は大きくレギュレーションが変わり、予選、決勝を通してのタイヤ使用本数が「10セット」に限定され、ピット作業時のタイヤ交換では「エアー・ジャッキ」 (瞬間的にマシンを持ち上げる装置) の禁止、給油の際では「落差式の給油装置」 (やぐらを組んでの給油タンク) の禁止など、今まで当たり前だった事が規制れる事でプライベーターとの格差を少なくしていました。
 一番の問題は「使用タイヤ本数制限」であり、熱い路面温度によるタイヤへの負担は尋常ではなく、時としてトレッド面 (路面に接地する面) の剥離やタイヤのバーストなども考えられ、決勝レースへ向けての戦略がとても難しい状況だったのです。
 8時間のレースが雨だと本数規制がないので問題ないのですが、晴れのドライでは1時間毎のピットインで給油とタイヤ交換を行なうので、タイヤが「8セット必須」となります。すると決勝用バックアップ(予備)がない状態で残り2セット。また、予選はライダー1人当たりの予選走行時間が30分×2のところ、必然的に使えるタイヤの残りから「1人1セット」となる為、現実問題として2回の予戦中1回だけのアタックとなり、例年のようなワクワクするような予選ではなくなったのが残念です。

フリー走行・予選

 そんな状況で迎えたレースウイーク。中冨選手は今年の相棒「YZF-R1」ですから何の問題もなく順調にセットアップが進んだようですが、ペアを組む吉川選手の場合はちょっと様子が違いました。というのも、彼は今年GPマシンの開発を担っているので、その特別なマシンと市販車ベースのR1では勝手が違い過ぎる事から今までにない違和感を訴えていました。これはまぁ仕方ないでしょう・・・
 技術の粋を結集して開発される最近のGPマシンは、多くの制御を「ECU」 (電気的なコントロール) に頼っており、多くのデバイスが存在しています。これらがあるとないとでは、乗り方が全く変わってくる事が考えられます。時にはクラッチの使い方であったりギアーチェンジの方法であったり、とにかく集中したライディングになるまでには時間が必要となるのですね。
 順調にセットアップが進む中冨選手と、思うようにマシンが反応してくれず、ややストレスが溜まる状態の吉川選手。救いはマシン・セットアップやライディング・ポジションに大きな差がない事。吉川選手は、「今ひとつ・・・」と言いながらも「中冨選手」と同じようなタイムであったので、耐久レースという事を考えると良い傾向である事は実感できていました。
 マシン状況の伝え方や表現方法はライダーによって違うもの。他のライダーの表現方法やセットアップの手順は、こういう耐久レースで同じマシンを数名で走らせる時に大変参考になりますから、ベテランの域に達している「吉川選手」のコメントは「中冨選手」にも良い刺激になったはずですね。何度も繰り返されるミーティングは、彼にとって大きな収穫になったものと思われました。
 チームの戦略として、予選の「一発タイム」よりも、8時間・・・そう、午後7時30分までコンスタントに走りきる事を目標にセットアップをしていた為、走行するタイヤは全て決勝用タイヤを使用し、時には想定した周回数を遥かに越える周回数までラップを重ねていました。これにより厳しくなった時のタイヤの状況、マシンの挙動などを具体的に理解し、コントロール性のあるマシン・セッティングを模索することに成功したようです。
 予選結果は6番手。もちろん決勝用タイヤでのポジションでしたが、これはスタート・グリッドではなく、翌日土曜日午後に行なわれるスペシャル・ステージとジャンプアップ・ステージへの出走順。グリッドはこの土曜日の結果で決められるのですが、大観衆の前で、全員がたったひとりのライディングを見守る事となる為、大変緊張する「ステージ・ショー」のような印象もありますね♪
 この夜、チームスタッフは決勝レースへ向けてのマシン最終チェックを行なう予定としていましたが、全ての確認作業が終了してホテルへ戻る頃は、周囲が明るくなり始める頃だったと聞きました・・・。

スペシャルステージ

 恒例となった8耐のスペシャル・イベント。予選通過の上位20台による「1人ずつ一周アタック」は、4時間耐久が行われた土曜日の午後に行われました。コンディションはドライ・・・気温もテンションも絶好調♪
 ここで使用するタイヤは、規制の「10セット」に含まれない事と、「たった1周」のみである事から柔らか目のタイヤをチョイスし、決勝のグリッドを決める「ショー」へ挑む事に。
 予選結果から、15番目にコースインした吉川選手。スタッフや観客が久しぶりのレース舞台での活躍をジッと見守っていました。そして計測開始。1コーナー〜S字へと差し掛かり、場内放送ではここまでのトップタイムをマークしている事を興奮気味に伝え、ベテランらしく・・・と思った瞬間、ダンロップ・コーナーの登りでフロントを滑らせた吉川選手はそのまま転倒!何と吉川選手はクラッシュしてしまう自体に!!
 転倒後の吉川選手が自力で立ち上がり、残念そうにコース外側へ回避した時点で身体の無事を確認しましたが、チームスタッフは一大事。同じ車両で「中冨選手」も直後に行われる「ジャンプアップ・ステージ」に望む予定だったので、急遽もう一台ある「決勝用マシン」を準備しなくてはなりません!
 幸い、前夜の作業で全てレース用に準備してあったので慌てる事はなかったようですが、こんなハプニングも8耐では当たり前なので、敏速かつ的確な判断と対応が大切なのですね。
 ピットに戻ってきた吉川選手、徹夜のスタッフの頑張りを知っていただけに申し訳なさそうでしたが、ライダーを「その気」にさせる雰囲気はチームにとっては大事。それを信じてライダーはベストを尽くす事が出来るのですし、見方を変えれば久しぶりの実戦でもプロレーシング・ライダーとして「攻める姿勢」を見せてくれた吉川選手でしたから、個人的には安心したのでした・・・。

 

続いて決勝レースで使用するマシンでジャンプアップ・ステージに望んだ「中冨選手」。チームとしては吉川選手の転倒で「ノー・タイム」なので、このままだと20番手グリッドとなり、大きく「ジャンプ・ダウン」?してしまいます。そして決して転んではならない「レース・マシン」。見守るスタッフや吉川選手がどんな言葉で送り出したか?それより彼がどんな心境だったか?など、ひとことでは言えない状況のなかプレッシャーを感じつつコースイン。そしてアタック開始・・・。
 モニターは中冨選手だけを追い、前から横から後ろからアタックの一部始終を鮮明に映していました。知らされる区間タイムから、彼のレースウイーク、ベストタイム付近である事は予測できたものの、「ふっ」と先ほどの吉川選手のシーンが脳裏をよぎったのは私だけではなかったはず。しかし乗りなれたYZF-R1はなんのミスもなくコントロール・ラインを通過。ベストタイムと1/1000秒しか違わないタイムとは恐れ入りました・・・。
 これで無事9番手となり、決勝も9番グリッドからのスタートで8時間を戦う事となりましたが、転倒で壊れたマシン・・・レースのスペアーとして修理しなくてはなりません。チームスタッフが昨夜に続いて深夜まで作業を行なった事は、翌朝奇麗に仕上げられていた2台のマシンから想像付いたのでした。

プレストリポート・8耐特別編(後編)に続く

[update:2003/08/08]

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続くミーティング
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アクシデントだ!
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10セットのタイヤ達
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光軸チェック
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サスペンション
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超でかメスシリンダー
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テールライトはstd
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続く作業
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首はひとつだけど…
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スペシャルステージ
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やっちゃった…
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テーピング中
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痛々しい…う・な・じ
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中冨…頼むぞ!
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中冨、行きます!
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ジャンプアップへの花道
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ポジションは…?

難波恭司プロフィール

1963年3月8日生まれ
'81 18才で草レースを始める/'83 ノービスライセンス取得/'85 鈴鹿4h耐久レース 3位/'86 国際A級昇格 ヤマハ契約/'87 TZ250の開発テストに携わりながらレース参戦始まる/'92 ファクトリーマシン TZM250開発テストに携わる、全日本選手権 初優勝 250cc/'96 GP500マシン開発テスト携わる/'98 代役としてWGPのGP500へ年間 5戦参戦 鈴鹿では予選2位 決勝5位/'02 現在はモータースポーツ普及活動など、モーターサイクルの「伝道師」として活動中。特に今年は'07YZF-R1でレース参戦を計画中。
ライダープロフィール

中冨伸一 (なかとみ しんいち)

1978年 10月 30日(24歳)血液型 A 型
'96年: 九州選手権 GP250ccチャンピオン/'97年: 全日本選手権 国際A級GP250ccランキング15位/'98年: 全日本選手権 国際A級GP250ccランキング11位、西日本エリア選手権 GP250ccチャンピオン/'99年: 全日本選手権 国際A級GP250ccランキング4位/'00年: 全日本選手権 国際A級GP250ccチャンピオン/'01年: 全日本選手権 国際A級GP250ccランキング11位/'02年: 全日本選手権 国際A級GP250ccランキング8位