![]() まだ何かあるのか?さて春日通りを大塚方向に更に進むと、茗荷谷駅の少し手前で開けた右方向に下っていく交叉点に出てくる。ここは桜並木で有名な播磨坂で、下の千川通りまで約400mmでプッツリ切れているが環状3号線計画の一部だ。
この道路も何故ここだけぽつんと完成したのかとか、ここから先はかなり急な谷でかつ丸ノ内線の小石川検車区があり、上を通すのも下を通すのも難しそうなのをどうするのかとか興味深い点があるのだが、話が広がり過ぎるのでここでは通過。
通過はするけれども東京都戦没者霊苑から播磨坂までの区間について1つ。試しに何度か歩いてみて思ったのは、通りの面する建物に…気のせいかも知れないけれど地下フロアがある場合がやや多いようだ。茗台中学あたりではすぐ裏が丸の内線が下を走る傾斜地だからこれは当然としても、そうでないところも何となく…。この辺は地価が高いから上下に伸ばしただけだよ、と云われればそれまでだが、そこを敢えて疑ってみるのも一興だと思う。
![]() 左:坂を上がり切った交叉点、右は伝通院。 右:播磨坂交叉点。右手に桜並木の40m道路が400mだけある。
播磨坂を過ぎると間もなく茗荷谷駅だ。茗荷谷駅を過ぎると大塚一丁目の交叉点。右に斜めに伸びている道の下には丸ノ内線が通っている。この道、その先の不忍通りに突き当たって終わっているが、そこから先は住宅街の下を抜け、真っ直ぐ大塚病院横に出て新大塚駅へと至る。新大塚駅から先は再び国道254号線下となり池袋に到着する訳だ。
![]() 左:茗荷谷駅前。 右:大塚一丁目交叉点。1つ先の信号左手がお茶の水女子大学だ。
跡見学園、筑波大附属中学も含まれる広大な敷地だ。拡大地図を表示
地下鉄新宿線は、ここで急に曲がるのも変だし、丸ノ内線と交差して直進しているものとしよう。すぐ先はお茶の水女子大だが、この大学がある大塚2丁目と1丁目のブロック丸ごとも元は軍の施設だった。池袋で生まれ育った僕の嫁の親父さんは「子供の頃に棒をかついで皆して護国寺の"練兵場"に戦争ごっこをやりにいった」と話してくれたが、多分ここのことだ。
但し昭和7年に関東大震災で校舎が焼失した東京女子高等師範学校、後のお茶の水女子大が移転して来ていて、軍施設は南側の文京第七中学校から筑波大附属中学あたりに大塚兵器庫としてやや面積を縮小されて存在していたようだ。もしかして地下で支線が枝分かれして延びていたかも?!
![]() 国土地理院発行 1/10,000地形図「早稲田」明治43年
フシギな物件発見!
地下鉄新宿線は春日通りの下をそのまま続いているものと仮定しているが、ここでちょっと戻って大塚1丁目交叉点で、地面の下の丸ノ内線に沿って右折しよう。道なりに進むと不忍通りに突き当たるが、ガソリンスタンドの脇に細い道がある。かなり狭くて普通のクルマは通れないけれど、バイクなら余裕だ。グリグリ狭い路地を突き進んで行き当たったところが、大塚公園だ。
![]() 左:大塚一丁目交叉点を右折。 右:不忍通りに行き当たるが…。
![]() 左:ガソリンスタンド脇の路地に入ってみる 右:狭いわ折れ曲がっているわで大変。
大塚公園から大塚病院にわたるここ一帯は、明治29年に上野から移転して来た養育院が昭和3年まで置かれていたところで、その後板橋区大山に移転し現在の東京都老人医療センターへと続いている。
この養育院については元が江戸幕府の老中、松平定信が作った七分金積立という災害救援制度であったり、院長を60年間も渋沢栄一が務めていたりと面白い話があるのだが、脱線してしまうのでここもパス。地下鉄新宿線的に疑わしいのはその移転した跡地で、ちょうど公園に突き当たった所に立っていた旧町名案内板には「養育院が移転した後、近代的公園になった」と書かれているが正確には「一部が近代的公園になった」だろう。
前説が長くなってしまった。フシギな物件とはこれだ。
![]() 立派な構造物があるが…。
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