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30数年ぶりに恩師に会いに行く
小学校時代の美術(図工か)の先生から久々もいいトコの連絡を頂いた。埼玉で絵のグループ展をやっているから時間があったらお越し下さいとのこと、そう云われりゃ行くしかあるまい。行ってきました。

[弓削 時保:2007.9.29]
ご無沙汰しておりました。

ご存命でしたか(笑)。

なんて言うとえらい失礼な話なのだが、実は僕は母と同じ小学校の出身で、その母もこの先生に習ったことがあるというのだから途轍もなくロングタームな話なんである。
この美術の先生、米良武子先生とおっしゃられるのだが、卒業後も何度か学校を訪ねた事があるものの、同窓会があまり活発でなかった事もあって、お会いするのは実に30年ぶりくらいにもなる。
ことの発端は最近母の代のクラス会が開かれ、その席に招かれた先生方の中に米良先生もいらっしゃったことだった。当然母との間では僕の話題が出た。後日そのことを母から聞いた時の僕の正直な感想は「うわ、先生まだご存命なんだ!」。
いや重ね重ねホンット先生申し訳ない!でも自分の母との年齢差と卒業してからの時間を足すとそれだけで50年を超えるし、6年生の時には既に先生の中でも結構古株の方だったはずだから、頭の中は「ええ?一体先生いくつなのよ?!」という状態なのだ。しかもメチャメチャお元気だと云うではないか。やっぱ驚くんである。

正直授業についてはあまり良く憶えていないのだが、絵を描いたり木やら鉄やらを切ったり貼ったりと工作したりするのは好きな子供だったので、先生にはかなり自由に色々な道具を使わせて頂き、好き勝手なことをやっていた記憶はある。
その頃の先生はと云うと、小柄だが画家の、ええとあれスモックって言ったっけか、それを着て凄い勢いでホウキを振り回しながら生徒に散らかった木屑の掃除をさせていた記憶が…、いや違った、それは当番の自分たちが全然真面目に掃除をしないで図工室で遊んでばかりいたからだった(汗)。いずれにせよパワフルな印象ばかりが残る。
それにしても美術の先生と云うのはユニークな人が多い。思い返せばこの米良先生ばかりでなく、中学・高校とも美術の先生と云うのは先生らしくない、ちょっと風変わりな人ばかりに当たっていた。高校の草野先生は彫刻ではかなり有名な方だったと後で知ったが、当時はただのベランメェのおっさんだと思っていたし、中学の臼木先生は僕の代の卒業直後に教師を辞めてインドに行っちゃったらしいし。

バイクでひとっ走り、会場に向け出発。

そういうわけで仕事の合間に伺ってみることにした。会場は埼玉県東松山市にあるギャラリー東松山、市のギャラリーで東武東上線東松山駅からほど近いところにある。バイクだと関越自動車道で東松山I.C.で降りて2kmちょっとというところだ。
仕事の電話応対などで時間を要し、オフィスを出たのが0時30分くらい。不忍通りから護国寺を掠めて目白通りを走り、西落合1丁目で右折して新目白通りを西へ。環七、環八をくぐり、谷原の交叉点を過ぎれば関越自動車道の起点、練馬I.C.だ。
平日で道は比較的空いていたのでそのまま高架を駆け上がって新座料金所まででほぼ30分で来ることができた。ここから「所沢」「川越」「鶴ヶ島」とインターチェンジを過ぎて「東松山」まで約35kmくらいの高速走行となる。
まだ各部整備が完全ではないFZ750なので、様子を見ながらのんびりいくつもりだったが、真っ昼間だと云うのにとんでもないスピードで走るレクサスのあおりを食らって結構なハイペースで走らされる羽目になる。全体に流れが詰まり気味になっているのは見えているってのに、ビッタリと車間を詰めて走るのはやめて欲しいもんだ。君子危うきに近寄らず。

それは置いておいて、高速道路に限らずバイクで走っていて「いいな」と思うのは、色々な匂い・香りを感じることだ。夏であればそれは田んぼの土の匂いや草いきれ、秋なら野焼きの煙の匂い、など様々なものが瞬間鼻腔をよぎって行く。
そして面白いのは、その匂いが思いがけない記憶を甦らせることだ。目や耳から入る情報を大脳が処理して記憶を引き出しているのに対して、鼻から入る匂いの情報はそうした論理回路を経由せず、小脳だか延髄だかを直接叩くような、そんな感じで子供の頃の虫取りをする光景や照りつける日差しの強さ、そんな皮膚の感覚までもフラッシュバックしてハッとすることがある。これは四輪車ではなかなか感じられない醍醐味だと思っているのだが、どうだろうか?
新座料金所。ETCの普及が進んだことを実感する。